こんにちは、原田圭悟です。
先週の土曜日、福岡市のあたごはま幼稚園さんに、積み木のイベントをご依頼いただいて、お邪魔してきました。
コロナで延び延びとなっていた開催。元々の予定では在園中に行われるはずだったのが、卒業して小学生となった参加者のお子さんもいたそうです。
あたごはま幼稚園さんは福岡市で1、2を争う園児数を誇る大きな幼稚園さんです。こちらの用意する1万枚のカプラを超える、カプラを保有されていて、普段のイベント以上に潤沢なカプラで遊べる贅沢な時間となりました。
親御さんにも協力いただきながら完成した大技「ナイアガラの滝」も、使える枚数が多いことと、製作に参加いただく人数が多いこともあって、かなり大きめのものができました。
大技に挑戦する一方、並行して行っていた自由遊びでは、色々と面白いものを作る皆さん。たくさんの作品ができていましたが、この写真のものは、個人的にとても面白かったので紹介します。
私の視点でこの作品の面白さは、「あ、遊びってこういうところあるよね!」という気づきを与えてくれるところにあります。
どういうことかと言うと、完成したこの写真を見ると、段差が少しづつ異なるものが並んでいるので、階段状の構造物を作品として作ろうとしたのだろうと想像できます。
しかし話を聞いてみると、これは最初から「よし!階段みたいなのを作ろう!」と思っていたのかというと、そうではないそうです。
最初はあまり目的もなく、なんとなく一番高いタワーを作った。隣にまた、なんとなく作って行った時に、「お、これは階段っぽくなってきたな」と思い、徐々に階段状のものを明確に目指すようになったようです。
この「なんとなく始まったもの」であることが結構遊びにとって重要なのではないでしょうか。
最近よく聞く、プログラミング思考にも通じるゴールから逆算して、どのような構造を作っていくか考える力は、とても大切だと思います。目指すゴールが明確であり、どうしてもゴールを達成したい気持ちになっている場合は、とても楽しいし、積み木遊びなどにもそのような力を育む側面があると思います。
一方で、遊びはこのように、行き当たりばったりの中から、徐々に何かしら形のようなものが見えてくると言うことが往々にしてあります。(また、行き当たりばったりだから、全く形にならないこともよくあるでしょう)
そのような自由が許されている時間・空間が子どもにとってはとても大切なものではないか、と感じた1枚でした。