こんにちは、原田圭悟です。
今夜(8月18日)はニキティキに関するテレビ放映( NHK総合1「世界はほしいモノにあふれてる」)がありますね。自分自身が子どもの頃に触れたおもちゃという意味で、ニキティキのヨーロッパの木のおもちゃに大きな影響を受けているのですが、それ以外にも私にとっては外国に興味を持つ間接的なきっかけだったと思います。
父は、自分の第1子(私の兄)が生まれたことをきっかけにおもちゃの世界を知り、ニキティキの扱うヨーロッパの木のおもちゃの美のこだわりに触れました。
そして、何を思ったか勢い余って?ドイツに語学留学に出かけたりまでしちゃいました。
ドイツでの生活は父にとって影響が大きかったようで、私たち兄弟はお風呂で湯船から出るまでの数をドイツ語で数えていました。
今は「アイン、ツバイン(1、2)」までしか出てきませんが、当時は20まで数えたら出ることになっていました。
ずっと後に知りましたが、父の後悔として、もっと若い頃に違う文化の中で生活する経験をしておきたかった、という思いがあったようです。
結果的に、私と兄は留学したり、それなりの異文化体験を父より若い時に経験することになりました。なんだかんだ、父のそれまでの経歴に影響を受けた結果だろうと思います。
異文化で生活する経験の良さの一つは、マイノリティになる点だと思います。あれ、常識と思ってきたことって実は全世界共通じゃなかったんだ、と気づくことになります。
私は、家にテレビを置かない、という方針の家庭に育ち、「とにかく自分の家は変わっていて、他と違う」と思い育ちました。自分は典型的な日本人ではない、と思い込んでいる節もありました。同世代の方と話してて「あ、私もテレビがなかったよ!わかる〜!」みたいな経験はほぼ皆無なので、変わっているのは、変わっているのでしょう。
しかし、外国で生活してみるとそのような差が小さく感じられて、人前でシャイな態度を取る傾向があったり、やはり自分は日本という環境に大きな影響を受けて歳を重ねていることを実感します。
父より若い時とはいえ、私が初めて外国に行ったのは大学1年生の時でした。そんな私に比べて、中国人の母を持つ我が娘は、0歳10か月で国際線デビューしました。それじゃ、彼女の方が良いのかというと、果たしてどうでしょうか。多様な文化経験はたくさんすると思いますが、娘たちは宿命として、自分自身のアイデンティティに迷うような日も出てくるでしょう。それほど単純な話でもない気がします。
それじゃ、今のうちに親としてできる準備が何かあるのだろうか。なんて問いを立ててみても、毎日ただただ嵐のように、いつの間にか一日が過ぎていきます。結局その時その時起きる出来事に対処するしかない気がしています。