雛人形や鯉のぼり、どんぐりころころといった商品でファンも多い三浦木地さん。お訪ねした際の記事をどこかに書いた気がするのですが、見つからず再度書いてみます。
振り返ってみると、2018年の5月にお訪ねしていたので、もうずいぶん時間が経ちました。もうすぐ80歳という三浦さんですが、訪問後も元気に製造を続けていらっしゃいます。北海道の旭川にある三浦さんの工房を訪ねた際は、快く工房や周辺の木工所の案内をしていただき、夜はお好きというお寿司もご一緒させてもらった、僕にとってはとても良い思い出です。
職人さんと話をすると思うと、少し身構える部分もありますが、三浦さんはとても気さくで割とおしゃべり好きな方でした。楽しくお話しさせていただく中でも、今も思い出すのは「仕事のあり方」を教えていただいた感謝です。(おそらく、ご本人は何か教えてやろう、というようなお気持ちもなかったかと思いますが。。)
家具の町として有名な旭川で、三浦さんは中学卒業後に丁稚奉公のような形で木地職人として働き始めました。その後独立し、木地職人として、家具の部品の製造を主な仕事として続けられます。
その後の時代の変化から、旭川の家具業界全体として下請け構造からの脱却が必要となっていた際、旭川市が工業デザイナーとして有名だった秋岡芳夫さんという方を講師に招いたそうです。1970年代のお話です。
下請けから脱却し、独自のデザイン、プロダクトで事業を確立していく必要性に強く共感した三浦さんは、秋岡さんの「物語が思い浮かぶようなデザインが大事」という教えをもとに、オリジナルのデザインで商品作りを続けます。
その後は、現在に至るまで全国にたくさんのファンがいらっしゃって、ご希望の方が多すぎて、お断りをしないといけないようなブランドになっています。
このように書いてしまうと、さらっと成功したかのように受け止められるかもしれません。しかし、時代が大きく変わる時に、自治体や産業団体が自らを変革するための手を打つことはよくあっても(この場合、下請けからオリジナルデザインへ)、実際にそれを実現している方は少ないのではないでしょうか。
秋岡先生の講習を受けて、本当にオリジナル商品を仕事にできた人はとても少ないのだそうです。三浦さん曰く、事業として確立できたのは続けたからだとおっしゃいます。完成した素敵なデザインの商品を見ると、デザインの才能があったように思ってしまいますが、とにかくこの道だと信じて試行錯誤を続けた結果、ということを強調されていました。
今までと違うタイプの仕事をすると、当然ながら最初はうまくいきません。でも、その中にも楽しみを見つけたり、歯を食いしばったりして長く試行錯誤を続けられた人だけが、成功するのでしょう。三浦さんにはそのような、根気よさというか、粘り強さがあったのだと思います。
訪問中に何気ない会話のなかで、オリジナルだけでなく下請けというか、求められる規格通りに仕上げることも大事な仕事であるということをおっしゃっていたのも印象的です。その理由は、基本的には「今できる技術」で可能な範囲のデザインをしてしまいがちで、技術そのものが磨かれていかなければ、実現できないデザインがたくさんあるから、ということでした。
三浦さんは、物語を感じさせる素敵なデザインにたどり着いていますが、やはり基盤となっているのは技術なのだと感じました。その技術も、やりたいことだけやっていてもダメで、求められた仕事をなんとかやるうちに身についていくものだというのも面白い話でした。
人気の三浦木地の雛人形ですが、その裏には三浦さんの素晴らしい仕事の歩みがあります。そんなストーリーも知っていただけたら嬉しいです。